2023年12月、厚生労働省は、国際共同治験への日本人被験者の組み入れ前の日本人第Ⅰ相試験の必要性に関する通知を発出しました。これにより、追加の試験が原則不要となり、日本での医薬品開発が加速化することが期待されます。本稿では、本規制改革の概要と今後の展望を解説します。
1 . 記事の概要
- 日本以外で承認された医薬品のうち新興バイオ医薬品企業(EBP: Emerging Biopharma)による承認申請の占める割合が増加 しており、近年、EBPの重要性が高まっています。
- 一方、特にEBPを中心とした海外 企業が日本での開発を忌避又は断念することによるドラッグロスの問題が顕在化しています。その原因の一つとして、国際共同治験 に日本人を組み入れる 前に日本人での第I相試験成績を求めてきた日本の規制当局の姿勢が挙げられてきました。
- 今回、海外で臨床開発が先行した医薬品について、原則として国際共同治験への日本人症例の組み入れ前に日本人による第Ⅰ相試験を追加実施する必要はないとされたことで、日本市場参入障壁の一部が取り除かれることが期待されます。
2 . 規制改革の背景
2.1 「ドラッグラグ」の是正と「ドラッグロス」の新たな問題
2000年代初頭に、審査期間の長さ、日本独自の薬事制度及び薬価制度等を要因として、日本での上市が他国に比べて遅延する「ドラッグラグ」が問題視されました。これに対し、医薬品医療機器総合機構(PMDA)は、審査官の人員増強、未承認薬・適応外薬 の開発促進及び薬価制度改革等の数々の施策を実施することでドラッグラグの是正に努めてきました。
一方、近年では、海外で上市されている医薬品等であっても日本で上市されていないという「ドラッグロス」の問題が注目されています。2020年末時点で、欧米いずれかで承認された新規有効成分 246品目のうち国内 未承認のものは176品目(72%)あり、そのうち95品目(39%)が日本で開発に着手もされていないとの報告があります1。このような医療アクセス の低下は、患者様にとって非常に重要な問題となりえます。
2.2 創薬環境の変化に伴う、薬事規制のハードルの深刻化
製薬企業が創薬から製造販売に至る一連のプロセスを自社内で完結するという従来のライフサイクルは、近年大きく変革されつつあります。ある調査によれば、米国食品医薬品局(FDA)が承認した新薬の中でEBPによって上市された製品の割合は42%に増加しており、EBPが実施する治験は2016年と比較して2021年には約2倍に増加したと報告されています2。
一方で、日本の規制当局は国際共同治験における日本人症例の組み込み前に、国際共同治験で用いる用法・用量が日本人においても安全性上問題がないか事前の確認を必要とし、原則として日本人の第Ⅰ相試験が必要としてきました(「国際共同治験に関する基本的考え方について」(2007年9月28日付け薬食審査発第0928010号))。
EBPにとって主要な市場は依然として米国であり、EBPは自社の所在国及び米国を早期臨床開発における主要な治験実施国として選定する傾向があります。そのような背景から、近年、海外のEBPが海外で先行して早期臨床開発を進め、その後の検証的な国際共同治験の実施が間近に迫った段階で日本人症例の国際共同治験への組み入れを検討するケースが増加しています。従来の規制では、海外で実施される早期臨床開発と並行して日本人第Ⅰ相試験を実施していない場合、国際共同治験の実施前のPMDAとの治験相談の段階で日本人データの充足性について指摘される可能性があります。そのため、新たに日本人を対象とした第Ⅰ相試験が必要となり、国際共同治験のスケジュール調整が困難になることが多くありました。その結果、日本での開発を断念するか、引き続き日本での上市を目指す場合には、日本国内のみを対象としたローカル開発を進めることを余儀なくされました。
3. 規制改革の概要
2023年12月25日付で、厚生労働省医薬局医薬品審査管理課から「海外で臨床開発が先行した医薬品の国際共同治験開始前の日本人での第Ⅰ相試験の実施に関する基本的考え方について」(医薬薬審発1225第2号) 及び「海外で臨床開発が先行した医薬品の国際共同治験開始前の日本人での第Ⅰ相試験の実施に関する基本的考え方についての質疑応答集について」(事務連絡) が発出されました。
この通知では、第Ⅰ相試験の段階から日本も開発計画の議論及び臨床試験に参画することが望ましいとの立場を維持しつつも、国際共同治験開始前の第Ⅰ相試験について「人種・民族や国・地域ごとに実施することが必須となるものではない」とした上で、海外で臨床開発が先行した医薬品について、必要と考えられる場合を除き、原則として国際共同治験への日本人症例の組み入れ前に日本人による第Ⅰ相試験を追加実施する必要はないことを明確化しました。
しかしながら、この取り扱いはあくまで原則を示したものであり、海外で臨床開発が先行した医薬品 を対象とした通知であることや「必要と考えられる場合を除き」等の条件が付いていることから日本人第Ⅰ相試験の要否については慎重に判断する必要があること、日本人第Ⅰ相試験の実施の有無にかかわらず、承認申請までの間に薬物動態・薬力学の国内外差の検討を行うこと、及び日本人第Ⅰ相試験が必要と判断した場合には、国際共同治験において、日本人に対する追加の安全確保策を設定する必要があること等に注意が必要です。
4. 今後の展望
今回の通知発出により、海外のEBPの日本市場への参入ハードルが下がることが期待されます。特に、民族差がないと考えられる医薬品ですでに海外での臨床開発が一定程度進んでいる開発品では、日本人を対象とした第I相試験成績なしに国際共同治験に日本人症例を組み入れることができる可能性があるため、開発戦略の選択肢が広がることになると考えられます。また、本記事ではEBPに着目して解説しましたが、規模を問わず製薬企業での臨床開発の期間及びコストの低減が見込めます。
参考文献
1. 飯田 真一郎. ドラッグ・ラグ/ドラッグ・ロスの現状. in 2023年度 医薬品評価委員会総会シンポジウム (2023).
2. IQVIA Institute for Human Data Science. Emerging Biopharma’s Contribution to Innovation. (2022).
筆者
株式会社リニカル 創薬支援事業部 樋口拓哉、澤田隼